. 地方対話(後半)発言録 - ページ 2

【後半】

増田:後半は震災を機にどう関係を変えるか後半から釜石市の野田市長にご参加いただきます。さらに岩沼市の井口市長。お二方からは生々しい話を聞かせていただきたいと思います。そして埼玉県の副知事、広畑さん中越地震を経験した長岡市の副市長、山崎さん。

袁岳:防災、災害復興は日中両国にとって大きなテーマであります。中国も四川大地震で大きな被害を受けました。ですから、日本の復興には非常に注目しています。

ここで改めて後半の中国側パネリストをご紹介いたしましょう。まず陳さん、王さん、四川省の永安さん。四川地震では最も被害が大きかった地域です。ですから日本の市長さんからいろいろな経験を伺いたいと思います。

増田:さて、まずは震災から何を学ぶのかということについてお話していただきましょう。

120702 c suzuki野田:釜石市の野田です。

3月11日は未曽有の大災害でした。こちらでは当日は議会中で、市役所から逃げたら津波に襲われました。釜石だけで1000人以上亡くなりました。そこから皆さんに教訓をお伝えしたいと思います。

(1)宮城県沖地震だけを想定していました。津波は考えていませんでした。完全に想定外でした。津波に関して測定装置などを設置していましたがまったく機能しませんでした。ギネスに登録するほどの防波堤も作りましたがあっさり決壊しました。

(2)また一番の教訓は市民に情報提供できなかったことです。特に電気が寸断したことは想定外でした。気象庁の津波予報では3m、6m、10mと次々と予測が変化していきましたが、3mの時点で電気が寸断したために情報提供ができなくなりました。6mの防波堤があったから3mでは市民が油断し、危機意識がありませんでした。その結果、1000人以上が犠牲になってしまいました。当初は犠牲者数すら正確にわかりませんでした。多すぎたら埋葬方法で土葬まで考えるほどでした。こうした悲劇を繰り返さない防災体制を構築しなければいけないと思います。

釜石では1万人が避難所生活を送りました。全国の支援のおかげで仮設住宅に3200人、みなし仮設であるアパートに600人、生活再建のために今後も国と協議を続けていきたいと思います。

一方、いい話もありました。

1つは小学校、中学校では奇跡的に全員津波から生還したことです。

もうひとつは中国からの研修生が全員助かったことです。

こうしたことを乗り越えながら今後も復興に向かっていこうと思います。

増田:あの小中学校の生還劇から学ぶべきものは多いですね。

120702 c kan瞿:尊敬する皆様こんにちは。四川地震で最もひどい被害の地域から来ました。そこでこれまでの経験をお話ししたいと思います。あの被災があるから日本の被災は我が事のようです。

当時、被災した瞬間は人命がとにかく第一でした。被災者10万人以上に対して救出体制を敷きました。その結果命の奇跡もありました。その後、避難所体制を確実に構築しました。3年間をかけて完全かつ新しい復興を成し遂げました。その結果、これまでよりもずっときれいな四川になりました。被災者も今までよりもずっときれいな家に住んでいます。自然の猛威に打ちのめされましたがそれを乗り越えました。今では県の中心地も移転し新しい街を構築しています。学校も完全に再建しました。老人施設などの福祉施設なども格段に向上しました。チャン族の伝統を生かしつつ再建を成し遂げました。

治水被害地に関しては遺跡化しています。そして国家レベルでの観光地域化しています。

ここでは大自然に対する恐れを見ることができます。

復興の要因としては中央政府の復興支援は大きかった。そこでは政策的、資金のサポートが充実していました。経済の強い山東省からの援助も大きかったです。そしてもちろん、地元政府も頑張りました。

生き残った人々は5体満足であればどんなことでも乗り越えられる、依頼心をなくし自立した精神を持つようになりました。

そして世界中、特に日本からの支援に感謝したいと思います。

四川は地震が多く苦難を受けましたが同時に多くの愛を感じることができました。

ですから、復興で得た経験をシェアしていきたいと思います。日本の被災県との情報交換、政府間での災害対策交流を促進すべきです。

袁岳:世界中多くの人が四川地震復興に支援してくれました。何が復興に必要なのかは私たちもかつて調べたことがあるので、今回はより早く復興できました。さらにボランティア活動も活発で、その点も中国社会に好影響を与えました。

増田:続いて岩沼市です。岩沼では集団移転が進んでいますが、おそらく被災地で一番早く進んでいます。

井口:岩沼市の井口です。温家宝首相が来た仙台空港の南側が岩沼です。野田首相のメッセージの通り我々も備えなければならないと思います。たとえば、自主防災組織、市民の危機意識に対する啓発などです。

地震の直後は家屋の被害が少ないので安堵していました。

しかし岩手のリアス式海岸と違ってこの辺の浜辺ではこれまで津波の被害がなかったため想定外の被害が生じました。

物流でも半月経ってもガソリンがないので市民が職場や買い物に行けなかった。そして食料もないのです。そこではすべての市民が被害者でした。

そこには政治の弱さがありました。多くの政治家はなんでも国でやります、と言っていました。

しかし、廃棄物処理などはありがたいけれどコスト意識の欠如につながっていないでしょうか。住民も国がどうせやってくれるのだろうと、自助努力をしようとしません。なんでも国でやりますということが本当に良いのでしょうか。

さらに報道の格差が支援の格差を生むということも挙げられます。確かに他所に比べれば犠牲者は少ないですが、岩沼市の歴史では最大です。しかし行政の中枢はやられていないから報道が少ない。だから、支援が少ないのです。芸能人の支援活動、寄付、しかも政治家までもがこちらを顧みませんでした。

そこでスピード感をもった対策をしていくことで岩沼を知ってもらうことを心がけました。

国はいくらでも支援を用意するといっているがそれを待つことのないスピードが大事です。

つまりお金をもらう前に片づけるわけです。被災計画、避難所、さらに集団移転など被災地トップクラスの速さで進めました。こうなるとマスコミにも取り上げられるようになります。

また千年希望の丘を作りました。津波を弱めると同時に避難所になり、津波を考えるシンボルにもなります。財源は税金だけではなく国民からの基金も使います。さらには外国の支援も期待しています。きっと災害対策の知恵の象徴になるはずです。

袁岳:四川でも同じ様な問題が起きました。被害が大きい所とは違い少ない所は関心が少ない。

瞿:ポイントは3つ。災害はよく起こる。起これば多大な被害を受け、人は多くの悲しみを受ける。原発問題も行なっていく上で学ぶ点はあります。そして効果的な経験を構築すること。たとえば、両国のペアリングシステム。被災地は多くの被害を受けたが中枢から支援を受けていました。これは中国とのペアリング支援があり、国際レベルで協力支援できた。

国際的な友好都市間でもペアリングができるはず。250以上の友好都市があります。

両国で大きな障害が発生する事はないはずです。何か有事の際は友好関係を生かし支援をしていけます。それは国のトップの指示を待たずしてできます。

友好都市としてどういった支援をしていく事ができるのか。

寄付もできる。民衆の間で友好団体で交流もできる。受けていない側から受けた身へ支援していけます。災害後は支援を取り合う。災害はどこでも起きる。協力支援が大事です。友好都市という枠組みの中で拡充していけます。

経済文化というものは一元的ですが友好都市であれば文化が違ってもどちらに支援していくか役割なども自然と決まります。それを長期化、そしてこれを根付かせれば完璧です。

袁岳:友好都市では災害が起きた時に助け合う事ができます。

増田:ペアリングは阪神ではボランティア元年、東日本ではサペアリング関係を再確認しました。その際の関係が功を奏しました。

120702 c yamazaki山崎:新潟副知事です。中越から8年。08年でこちらの復興が終ったが四川で震災が起こりました。地盤が横ずれした地震。積雪に絶える作りにしていたので倒壊はあまりなかった。インフラ整備もおおむね2年で完了。その後住宅団地ができました。仮設は3年。その後各自の自宅へ。復興公営住宅の整備集団移転まで2年半、住民との話し合いは24回。これはトラブル回避のためです。

一息ついた時に四川が起きて、さい駐日大使が長岡市を視察されました。その後使節団が訪日。383人が合計視察しました。

その後長岡市長が慰問し、長岡の経験を基調講演しました。昨年10月被災地職員向けにセミナーも実施しました。

増田:交流が復興支援を進めています。

袁岳:復興に関しては災害に対する市民意識が大事です。

120702 c o王:中日代表の発表は温かい想いが入っていて伝わってきます。慰め合い、学び合いは大事な事です。今の両国に必要なことです。

学び合う事はできるしそれを通じて災害に対策する策を講じられます。頻発する災害。ヒマラヤから地中海、東日本海のベルトに災害が集中しています。56%(中国30%、日本26%)を占めています。人的な災害も起きている中両国が協力していく事が重要になります。

都市化の割合は50%、日本は70%以上です。都市化しにくい点は似ている。都心に機能を集めすぎると機能しにくい。改革開放から30年、しかし最近はスピードダウンしています。

今後は経済発展のモデルケースが必要です。日本では新幹線の時刻が非常に正確。こういった点も学ばなければならない。

日本には震災についても学ぶ事が多い。都市公園法が施行され防災機能を持った公園が造られました。中国も総合的な都市づくりを目指すべきです。日本には素晴らしいノウハウがあるので中国側は学ぶ事が今後あります。中日の都市交流を強め、各市町村長で防災について話し合わなければならないと思います。

この話し合いが庶民に近い話し合いになるでしょう。しかし、市長だけでなく若者や企業も加わるべきです。お互いの経験を学び合うべきです。ありがとう。

120702 c hirohata広畑:埼玉県には中国人が多く住んでいます。

震災後、双葉町の人を埼玉スーパーアリーナに最大1500人受け入れました。その後廃校でも1400名受け入れました。なぜできたか?一時避難所は市町村が作るというルール。しかし水素爆発があったのでもっと大きい規模の場所を作れないかと要望ありました。残り30市町村も福島を中心とした被災者受け入れを実施しましたが、大きなトラブルはありませんでした。3月30日、上田知事の名で国が見放しても埼玉県が面倒見ますと通達したので安心して避難させる事ができました。

風評被害については足柄のお茶で基準値以上が出たので狭山茶でも国、農林省と厚生省と激しいやり取りがありました。そこで食べ物ではないけれど500ベクレルに設定しました。そして徹底的に消費者の目線に立つと同時にマスコミに対して徹底的に情報開示し風評被害を少なくしました。県のやり方に対して記者から提案してくれと言いました。記者は味方にする事が大事です。

増田:日本には災害基本法があります。国、県庁、市町村の役割が分かれているが大きい震災の場合は明確ではない。市町村にダメージがあると情報発信ができなくなります。

北京はこういう部分をどういう風に分けているのでしょうか?こういうのを早く決めておき国際的にシェアしていく事が大事だと思います。

瞿:市、県、国レベルでの役割分担を決めています。特に事前対策に力を入れています。

そういう規定があり、それぞれの役割分担が明確になっています。そのように法律にも明記しています。ポイントとしては(1)支援の場合には公的な資源だけでなく個人の支援も活用する(2)こんな時こそ人の本当の心がわかるので思いやりを見せる。すなわち衣類から家に至るまでをしっかりと支援することです。そして制度の良くないところがないか常に点検していくことです。こうした措置があれば震災にうまく対応できるのでしょう。この法律整備以降はよく対応できるようになりました。

袁岳:日本側に質問です。日本は復興経験が豊富でシステムも整備されており教訓もあります。そこで現代の復興で一番難しいのは何でしょうか?支援、協力をどうすべきか?

増田:野田さん、井口さんお願いします。

野田:難しい問題ですね。住民側からすると事前に想定にとらわれすぎたということがあります。想定に依存しすぎなんです。これは住民の意識の問題ですね。防波堤が高すぎるのが油断を生む。ハザードマップを作ったがゆえにその危険区域外では油断が生まれました。その点、釜石の子供たちは先入観にとらわれず危機意識を絶やさずに逃げたから助かりました。大人は事前の情報から安全のラインを決めていたのです。想定にとらわれすぎる意識は危険です。公的な情報に頼り切らず自分の目で確認しながら逃げていく意識が重要です。防波堤など設備も整えるだけではなくそういう根っこの部分を再点検すべきです。

ペアリング支援という点では静岡県などとの連携が効果を発揮したので有効だと思います。

井口:ペアリング支援は私も有効だと思います。ただ、それも日頃の付き合いがあるからこそです。友好都市、姉妹都市との良好な関係が功を奏したことがあったのでこの点にもっと強固にしていくべきですね。それから国の対応が杓子定規すぎだったのではないか。そしてその一方で方針が一貫していなかったのではないか、そういう問題もあります。

原発問題だけでなく仮設住宅でも二転三転しましたよね。阪神淡路の時よりも時間もお金かかりすぎるも危険があります。公助と自助のバランスを考え、自分の頭に判断できない市民が多いので防災教育が重要になると思います。

増田:耐震性の高い建築物は多いけれど津波には対応できる建築は現状ないと思います。

先ほどの過去のハザードマップにとらわれた大人が命を落としたという示唆な非常に重要だと思います。しかし、想定を超えたハザードマップもやはり必要でしょう。

原発でもそうですが対策の在り方をしっかりと示すべきですね。

袁岳:この問題については陳さん、日本に何を学ぶべきでしょうか?

120702 c chin陳:体制面でいうと全国規模で対応していくというやりかたは非常に力が大きいです。

ペアリングも挙国一致の一種といえますね。

しかし、事前の対策はすべてうまくいくとは限りません。次々に新しい事態が起こりえます。だから日本の人々が冷静沈着に対応したことからは深く学ぶべきですね。すなわち、感情が爆発したり、暴動が起きないように自律すべきです。災害時には情報もなくなるわけだから混乱は必須です。もちろんこの情報を素早く安定的に伝えることも不可欠です。救援も緊急措置が重要になります。何が足りないのかということを常に考えるべきです。両国のいいところをそれぞれ学ぶべきです。今回のような会議はいい機会なのでよく話し合うべきです。ですからこうした取り組みは是非続けるべきです。

王:自治体レベルで協力し合えることは多いと思います。中国でも防災は重要な課題ですがまだ不十分な点があるから日本の都市から学ぶ点は多いです。経済は伸びたがインフラは古い。今後の防災対策は不可欠です。基準も古いのでこれらをどう整備するのか、都市部の防災制度はまだ整備されていないので系統的に構築していくことが課題になります。さまざまな目標が定められた都市のプランニングが必要です。その意味で日本から学ぶ点が多いので、市長の皆様とさらに交流を深めていきたいです。

袁岳:津波、原発・・・地震の複合的な被害の大きさが改めて浮き彫りになりました。日本では原発に慎重になってきています。中国側も注目しています。中国でも日本の原発関連の風評被害がありました。放射性物質に関して明確な規定はあるのでしょうか。観光面でのリスクはあるのでしょうか。これは自治体レベルではなく国の問題ではありますが。

増田:現在、私は国の原子力委員会の大綱を作っていますが、その立場から言うと観光面でのリスクは情報をオープンにしていますので逐次確認できるようになっています。福島近辺は立ち入りできないですがそれ以外では普通に日本人が暮らしています。被災三県は観光ビザを緩和しているので多くの観光客に来ていただきたい。もちろん日本人も観光に行きますが世界からも来てほしいですね。

放射線のリスクについては食品の規制値を細かく発表しています。これは最近さらに厳格化されました。IAEAと比べても厳しい規制値を定めて対応しています。

放射線は天然レベルのもあるので上がった下がったと一喜一憂するのは無意味です。むしろ北京のほうが高いこともあるくらいです。日本人は元気に生活していますので安心できる体制は整っています。

脱原発デモに関しては山田さんのほうが詳しいのではないでしょうか。

山田:今回の教訓がいくつかあります。(1)人間の想定には限界があるが自然には限界はない。超えたときにどういう体制で臨むのかという点については慎重に考えるべきです。

安全性を考えたらきりがないので原子力もどこまでが人間の力で対応できるのか、ということを考えるべきです。そして超えた場合にどうするのか・・・これができないのであれば駄目です。

(2)今の日本の災害対策は市町村による要請主義になっている。そこでは国の力が大きい。これからは災害を受けなかったところがどうやって協力をしていくのか、を考えていくべきです。職員派遣から物資を送ることまでいろいろなことが考えられます。自治体間であらかじめ取り決めをしておくべきではないでしょうか。そこで全国の都道府県をカバー県という形でペアリングの新しい取り組みを作りました。こうした実のある新たな対策を構築していくべきですね。

増田:陳先生の言うとおり東洋の人間は冷静沈着というのはそのとおりです。

溝口先生は今回、何の被災もしていないという立場から客観的に見て何かありますか。

溝口:多くの経験が蓄積したのにこれをしっかりと整理してそれに応じた対策をとっていくということが考えられていないのではないでしょうか。これを機会にしっかり整備する必要がありますね。防災、減災から事後の復興に至るまでの流れをしっかりまとめるべきです。

また、自治体から市民レベルでの協力をどう考えていくべきか。

島根県でも多くの市民が支援に参加しました。現在、日本全体がひとつの地域社会として人を助けたいという気持ちが残っています。これをうまく生かすべきです。

また被災地で救援物資を送ると現地で合理的に仲良く配っていることがあるそうです。

それはそういう被災地の運営は顔見知り同士によってやっているから円滑にいくというのがあります。だから地域社会を守ることは災害対策上極めて重要になります。地域社会の役割をこうした観点から再考すべきではないでしょうか。

増田:会場から何か質問はありますか?

質問:日本側に質問です。復興の過程では各産業ではどのような対策をとってきたのでしょうか。四川の時も産業の回復は大きな課題でした。

野田:被災地もさまざまです。釜石は少子高齢化という問題があります。

集団移転やかさ上げなどは進めています。しかし産業再生という点では心配です。

仮設の事務所、工場で何とか事業を再開しているのが現状です。本格的な再建となると新たな土地を見つけることから始めなければいけません。

井口:農地という点では浸水などで苦労しています。高齢化も進んでいるので大規模化、企業化などで経営形態の転換を図ることも考えられます。

工業地域ではリストラが増え、浸水では企業活動が山の手の方に移転したりしています。

行動計画を明確にすることで企業等に対する指導を効果的にする必要があります。

質問:ペアリングの時は財政的な負担というのは支援する自治体の負担なのか、それとも中央政府に求償できるのでしょうか?

陳:よくわかりません。私の理解では山東省自身が支援してくれたと思っています。中央政府から求償できるのどうかはわからないが、もしも山東省が被害を受けたら他の地域から支援を受けることが期待できます。

質問:四川の時には心理的な復興が大変でした。阪神の時もそうです。心理的な復興のためにはどうすべきなのでしょうか?

井口:岩沼では一番早くサポートセンターを立ち上げました。阪神の時は自殺者が多かった。そこでミーティングをやって声掛けを多くしました。その上である程度落ち着いた段階でサポートセンターを作りました。青年海外協力隊など過酷な環境での経験がある人たちに協力をお願いしました。それから国に支援を依頼しました。

陳:市長のお話は確かに重要です。これをいかに継続するか。我々の地域でも心理ケアセンターが作られました。ボランティアは現在でも活動を継続中です。心理面だけでなく肉体的なケアなどいろいろなサポートをやっています。経済的な支えなど多面的なサポートを通じて気持ちが落ち着くという面もあります。短期的に忘れるということはありえません。しかしこれからも生きていくために心を奮い立たせ復興しなければなりません。

袁岳:中国でも心理専門家は10万人いる四川地震はこのような心理的なケアがうまくいった事例です。心理的なサポートをするためには専門的な知識が必要です。中央政府もそこまでの経験はないです。専門性が高いので簡単なことではないですが、これまでの経験、教訓をまとめて今後のためにもプラスになるようにすべきです。

韓:私の方から問題提起を。現在日本と中国では36組の友好県省がある

まだできていないところもあります。山田先生は知事会の会長です。知事同士のフォーラムを開催したこともありますが、こうした機会を生かして交流を拡大していくべきです。

山田:これまでも交流を進めてきたがここからさらに一歩進めるとなると新たな枠組みが必要になります。そうするとそのためのプラットフォームが必要になります。災害支援に限らず介護や環境など広い範囲での意見交換ができるようにしていきたいと思います。

親カテゴリ: 2012年 第8回
カテゴリ: 発言録